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宿曜占星術とは
日本では、九星術、気学、易、八門遁甲、四柱推命、算命占星術…といった占いの専門用語は、一般によく知られていますが、大部分の人は、初めて出会う言葉ではないかと思います。
「宿曜っていったい何?」と、首をかしげるのも無理はありません。その道の専門家さえ、ほとんど知られてないのです。
起源は、西洋占星術の発祥の地「バビロニア」です。バビロニアで盛んに研究された天文学は、ヘレニズム文化圏において西洋の占星術として体系化され、現在も広く知られる西洋占星術へと発展します。
ギリシャ文化とオリエント文化の交流を経て、バビロニアの占星術がインドへと伝えられ、たくみにインド化されインド占星術として発展していきました。
インドで独自に発展し体系化されたインド占星術を中国に紹介したのは不空三蔵という僧侶で、彼のもとで、「宿曜経」としてまとめられました。不空が世を去ってから30年後、日本から二人の天才的僧侶が唐に渡ってきました。
その天才的僧侶とは、真言密教の開祖となった、のちの弘法大師である空海と、天台密教の基礎を開いた伝教大師の最澄です。入唐した二人は密教に出会い目を開きました。
不空の弟子である恵果という高僧の知遇を得て、宿曜道を学び「宿曜経」を日本に持ち帰りました。
「宿曜経」は日本にもちこまれて後、高野山、比叡山、三井寺などの密教僧によって研究が進められて、いつしか宿曜経を極めた僧は「宿曜師」と呼ばれ、その占術技法は「宿曜道」と呼ばれるようになりました。平安時代、朝廷の庇護のもとに「陰陽師」が力を奮っていたことは広く知られていますが、実は「宿曜師」もまた、朝廷のもとで占術を為すようになっていきました。藤原一族の宿曜ホロスコープが残されていること、紫式部の「源氏物語」をはじめ、他の文献にも宿曜師に関する明確な記述があることなど、平安中期には、貴族の間で重用されていた事が伺われます。
その後、戦国武将が軍略に利用した事例など、歴史に刻まれた宿曜の足跡は枚挙にいとまがありません。しかし宿曜道は鎌倉時代末ごろから権力者の意向を受けて廃れていきます。
それは、あまりの的中率の高さに警戒され、江戸時代、徳川幕府は宿曜経を封印してしまいました。
宿曜術がなぜ日の目を見なかったのかは、密教に属する「秘法」だったからだと言えます。
密教は文字どおり、秘術としても他の宗教に比べて秘密性が濃いため“口伝”によるものが多く、文字として記録された書物は極めて少ないのです。
時が経ち、宿曜経は宿曜占星術として見直され、近年注目を浴び始めています。